福沢諭吉は何故お札に載ったのか-『学問のすゝめ 現代語訳』を読んで

2011/09/21

読書

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■読んだ背景

万札に載るほどの人物が書いた本。
それを意識したら読みたくなりました。
っていうか今まで読んだことなかったのって日本にいてどうなんだろう。みんな読んだことあるのかな?
今回読んだのが「現代語訳」なんですが、これ2009年出版なんですよね。
これまで現代語訳されてこなかったのだとしたら、所詮その程度の本ってことなのかなとか、そんなこと思いながら手に取りました。

(調べたら現代語訳版結構出てるじゃないですかー!恥ずかしー!)
原版読め!って方いたら背中押してください。


■福沢諭吉という人物

・1835年生まれ、武家出身
家柄や身分というものにこだわらない性格だったとか。
その性格と、父が身分によって能力以上に出世できなかった様を目の当たりにしたことから身分制度を疑問視していたようです。

・この本かいた時代背景は?
『1872年(明治5年2月)初編出版。以降、1876年(明治9年11月25日)十七編出版を以って一応の完成をみた。』
つまり明治維新を経て大きく変わる社会と価値観のまっただ中で提言された考えということになります。

福沢諭吉は明治維新前にも様々な運動に関わったり学習塾を始めたりと実に活動的だと思います。理論や理想を掲げるだけでなく、『自分はこういうことを考えて実践してる。貴方はどうだ』と自然体で説ける人物のようでした。


■学問のすすめとは

・身分、人権、社会的役割
開国と明治維新を経て身分平等になり、志を発揮すれば地位が付いてくる社会になりました。そこでは人それぞれの社会的な役割が重要であると福沢諭吉は考えたようです。
諭吉はこれまで不当に身分という枷に抑圧されてきた商人や百姓に、その社会的役割を認識しそれにふさわしい知識を備えることを促します。
むしろ、これまでのように政府や目上の者の目を気にして卑屈に振る舞うようでは国としてのあり方にも関わる、と指摘しています。
こうした時代の流れと人の価値観などを俯瞰した指摘こそ諭吉の評価された点なのではないでしょうか。

・国の存続の危惧とは
諭吉は今までのように日本の「一国内の治乱」 で収まらない時代の訪れに、今までと違う種類の競争を見出し、その先に国の存続を危ぶんでいました。
明治維新後の外国との関わりが根強くなった時代において、政府の優秀さよりも国民の徳こそが独立を左右する、と述べています。
独立の気概のある個人が集まってこそ独立の気概を持った国ができる、と。
諭吉の危機感は、外国との競争に負ければ日本という国が無くなり、日本人という民族が存在できなくなるということです。

ではなぜ開国後の国際競争において、国民の徳が重要なのでしょうか。
例えば、
これまでの身分に卑下した根性では、相手が外国人というだけで恐縮し大損するような取引でも応じてしまう者がいるかもしれない。
このような者がいては、如何に政府が優秀であろうとその努力は報われないだろうというのです。
そこで学問を学ぶことは相手と対等に交渉するために欠かせないことだという訳です。

・学問と地位
学問とは実学のことである、と諭吉は述べています。
すなわち普通の生活に役立つ実学のことで、文字や計算、地理、物理、歴史、法律などです。
こうした実学を身につけることで、政府とも対等になれるし、外国人相手にも恐縮せずやり合えるのだ、と述べています。
対等に会話も出来ずして自立独立はあり得ず、だからこそ学問を志すことは国を独立させることに繋がるというのが諭吉の考えです。
そしてただ知識をつけることを学問とは言わず、実践することが学問であるとしています。
『なんのための学問なのか』『どの場面で使う学問なのか』という目的こそ意識すべきことなのです。

・衣食住と社会的意義、蟻との比較
働くことで衣食住を得て満足するだけでは蟻と同じだと諭吉は言います。
独立と称して保守的に小さくまとまり、家を守り多少の蓄えをする。これだけでは蟻と同じだ、と。
諭吉は、独立は社会を保つということだと述べました。
そのためには社会の役に立つことが大切で、『役に立つ』とはどういうことかを考えるべきだと述べています。
古人の恩である文明を認識することもまた大切だと言っています。
文明は資産、財産とは比較できないほどの遺産であり、そうした文明を維持し新たに作ることが社会を保つことだ、と言います。
故に小さくまとまった者は社会の役に立っているとも独立しているとも言えない、ということで。
「他人に害にならない、というだけではいけない。他人にとってプラスになるようでなければならない。」と諭吉は断言しています。
そのためにも学問を志す必要があるのです。

■まとめ

・名著足りうる要素
日本の鎖国→開国の激動の中で非常に俯瞰した意見を述べていて、今の時代においても通じる要点を指摘しています。
これまでの日本に根付いた価値観をばっさりと打ち捨て、新たな価値観を促す論調は読んでいて快いです。

・諭吉の学問とは
学問とは、あとがきで訳者も述べている一貫した福沢スタイルが重要になります。
学問が必要なのは奉公と充足の一致を実現するためです。
つまり世の中を良くすることと自分自身の充実を矛盾なく繋げることが福澤の独特の道理なのです。
なによりこの本で述べていることは全て本人が実践的に広めていることで、学習塾としての慶應をどういった理念から創り上げたのかも垣間見えて面白いです。

・なぜ福沢諭吉はお札に載ったのか
明治初期にここまで時代の流れや、日本という国の特性を捉えて俯瞰した提言を行っているということ。
そしてそれを踏まえた学習塾創設などの活力溢れる行動は、偉人として名を残すにふさわしいと思います。
平等だからこそ学問を志す意味があり、価値がある。これまで築きあげられた文明という資産を自分が食い尽くすのかその先に繋げるのか。
それを考えさせることの出来た数少ない人物だからこそ、お札の肖像に選ばれたのではないでしょうか。





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雨森 佐歩吉(あめのもり さぼきち)です。 趣味は絵とゲームと読書と筋トレとブログいじり。

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